
思ったところ1点でピントが合う。
分かりやすく言えば画面の隅で合焦する。
即座に。
フレームを決めたらカメラを振る必要がない。
ぶれない。
普段F2.8以上絞って撮影しない(最近は1.8)スナップの私にとっては夢のような話。
真夜中でも普通に手持ちスナップが出来る。
そしてついに画素数からも解放された。
4000万あれば、とりあえずいいだろう。
ちょっと重くなったけど。
ぬばたまの黒女 (角川ホラー文庫) - 阿泉 来堂第40回横溝正史ミステリ&ホラー大賞〈読者賞〉受賞した『ナキメサマ』が面白かったので購入してたもの。
異端のホラー作家那々木悠志郎ものの第2作となっている。
まあ惹句に大どんでん返しホラー長編となっているが、そこにミステリー要素もあるということだろうか。
楽しめた。
読んでも次の日に内容忘れる私向き。
前作と同じどんでん返しじゃんか!!!などという突っ込みは入れない。
プロットも同じじゃんか〜!なんて忘れてる。
期待の作家さんです。
(82点)
追記:
そういやソフンの受付に先日県立美術館でやっていた『ホキ美術館コレクション展』の図録が置いてあった。
作品をよく「まるで写真のようだ」などと評すことがあるが、実は単に写真のような絵画(それ自体)には全く魅力がない。
最近よくネットなどで高校生が書いた本物のような○○なんてもの、それだけで評価するのはバカバカしい。
実は優れた作品は「写真でも撮れないリアル」を描こうとしているのだ。
もちろんそれはリアルに見えてもリアル(実物)ではない。
その時に見せてくれた彼と話したのだが、そこに描いてあるものと同じように写真で撮ることは実は極めて難しい。
写真とその絵は全く違うのだ。
だから凄い。
写真を超えた写実性なんだと思う。
ただ写真のように書くのは、ちょっと上手い人なら誰でもできるのだ。
だから見るものに眩暈のような衝撃を与えるのだ。
さて写真は。
そもそも写真はリアルではないということ。
だから極めてリアルに撮った(魅力のない)アンドレア・グルスキーの川の写真が3億円も値をつけた。
「これは川ではない、川の写真である」ということを見せた新しさ。
アートと認められたということである。
便器に名前を書いただけで歴史に残るアート作品と認められたことと同じなんだね。
そこが解ってからでないといつまでたっても写真はアートとはならない。
写真をアートとするには、そこに思想が含まれていなければならないということだろうか?
もちろん写真は自由であり、撮り方も考え方も好きなようにすればよい。
そこに優劣があるというわけではない。
ただ違いは厳然としてある。
上手く言えたか分からないが。
私は写真も好きだし、アートも好きだ。
posted by tadakov at 15:27| 高知 ☁|
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