2012年09月12日

火星にCO2の雪が降る

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役場に住民票を取りに行くと普段めったに話をしない人から声をかけてくる。
フリーダイヤル「大きな建物を建てるんだな〜(相手の目は笑ってない)」
ある人は犬「やりゆうね〜・・・と・・・」
何か言いたそうだったから猫「なにexclamation&question」と訊ねると
犬「いやあ〜できたら遺影を撮ってもらおうかと思って・・・」。



ドコモポイント「なんちゃあじゃないあせあせ(飛び散る汗)」笑って返したのだが、遺影と言えば前から思っていたことが・・・

最近写真館でも遺影ビジネスというか(こんな話を「はなブロ」では書けない)「明るいイエ〜イハートたち(複数ハート)」とか言ったりしてオシゴトにしようとしている。
まあ、人のことはいいんだけど、少しドコモ提供は違和感がある。

「何故生きている人の遺影を撮らなきゃいけないか?」

先日というか1〜2ヶ月前にも高知新聞で山里を訪れておじいちゃん、おばあちゃんの写真を撮っている人のことが出ていた。そのあと同じ人だと思うがNHKかの何かの取材も入っていた。
その人の撮ろうと思ったきっかけは、自分の親が亡くなる前に写真を撮れなかったから・・・というのだが、まあ美談のように「がんばっている写真家」みたいな取り上げ方。
最初に新聞を読んだときにexclamation&questionだったのだが、TVを見て確信、マチガッテイルちっ(怒った顔)(私はこうじゃないという意味です)。

まずその人の撮り方。
おばあちゃんに向って「笑ってexclamation笑ってexclamation×2もっと笑えずはずあせあせ(飛び散る汗)
なんでそんなに無理して作った笑顔を撮らなきゃいけないの。
笑っている必要なんかないじゃないか。
またいろいろ言いたいことはあるんだが、出来上がって渡している写真に驚いたがく〜(落胆した顔)あせあせ(飛び散る汗)
顔以外の部分は、黄色い背景に加工されていた。
ひどいパンチ
本当に「遺影」なのだ。
それも相当に出来の悪い。
もちろんボランティアではない。
お金をもらっている。
これじゃあ、山奥に車(RV)ー(長音記号1)安物のメガネを高く売りつけにくる、余計なお世話ビジネスと同じじゃないかexclamation&question
私はベレー帽を被って(昔の絵描きかexclamation&question)ニコニコしながら上から目線のことを言って撮ってるその人を詐欺師にしか見えなかった。

何故いま生きている人の「遺影」を撮ろうとするのか?

失礼じゃないか?

私は遺影は撮らない(撮れない)。
妹がガンの末期であと数ヶ月命と分かったときも撮れなかった。

じゃあ何を撮るか?

その人の「今」を撮るのです。
それが将来「遺影」に使われようが、何しようが関係ない。
今生きている姿を写真として残しておくのです。
そうすれば、まったく違うカタチで写真は見えてきます。
また撮る写真も変わってくるのです。

死んだときを前提にして今死人の写真を撮ってどうするのです(失礼だろexclamation×2)。
いろんなコスプレをさしておばあちゃんの遺影を撮るなんていうのもバカげています(というかバカにしていますちっ(怒った顔))。

来春にはラフディップのスタジオが完成します。
私はおじいちゃん、おばあちゃん(だけじゃないexclamation×2)の肖像写真を撮り始めます。

良い写真(あたたかい写真)を撮る。

一つ一つが作品になる写真を撮りたい。

その人の人生や今の気持ちが伝わる写真を撮りたい。


犬「んなキレイごと言ったって、それを遺影にするんだろむかっ(怒り)

ドコモ提供違いますあせあせ(飛び散る汗)

本来「遺影写真」なんてないのだ。
撮った時点は生きているんだから。
死んで初めてそれが使われて「遺影」となるわけでしょexclamation&question

縁起でもないかもしれないが、七五三の写真を撮って一ヶ月後に事故でその子が不幸にも・・・になったらその写真が「遺影」に・・・・。
最初から遺影に使う写真なんて撮ってるから碌な写真が撮れないのです。

ようは撮る側の問題。

「今」を邪心なく撮るのです。


写真は「今」しか撮れないのですから。




posted by tadakov at 23:58| 高知 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする