2014年06月05日

思い出の色

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明日のフラワーアレンジメント教室のために家から机を2脚持ってきて塗る。
古くて殆どゴミ同然のものと思っていたものが復活ぴかぴか(新しい)
去年それも廃棄同然の長持ちを塗ってみたらスタジオに転がしておいてもなかなか様になるものに・・・
いいものでもなんでもないと思うのだが、昭和初期や大正時代から使っていたものだから長年の汚れやキズが我が家の歴史を感じる。




最近古い写真の修復&コピーをときどき頼まれる。
余談だが、先日火事で焼けたお宅の残った唯一の写真の修復を頼まれ、3000円というと(随分安い値段だと思うのだがドコモ提供)高いむかっ(怒り)とちょい怒り気味で帰られた方がいた。
どれだけ手間のかかる仕事か猫
ただのコピーで、コンビニなら数十円と思っているのか、写真プリントなら100円以下と・・・ちょっと哀しかった。

それはそれとして今複製している写真。
スキャニングしてデータ化し
ゴミを取りキズを治し
退色した色をなるべく当時のモノクロに戻す。

ここで少し考える。
本当に退色復元してよいのか?
もっと言えばキズや汚れも元通りにすべきか?

その折れて黄色くなった写真こそが、思い出なのではないだろうか?

写真は撮影した時点で既に過去の情景である。
写された瞬間は永遠に変わることがない。
しかし物(紙)としての写真プリントは時間とともに古くなっていくのだ。

よく昔のことを昨日のように鮮明に憶えているというが、実はそんなことはないと思う。
思い出も色あせていくのだ。
ただそのエッセンスというか、核だけはより純化され鮮明になり、輝いていくのではないだろうか。

やっぱり思い出は、カラーからセピア色になっていくのかもしれない。


だったら写真の修復もなるべく今のままをコピーするのがいいのじゃないかと思う今日このごろ。
70年前のお袋の写真がピッカピカぴかぴか(新しい)のモノクロ写真に蘇っても、なんか違う気がしてきた。
その古くなったプリントこそ思い出が詰まっている。
まさに長年使ってきた机に思い出が宿るように・・・

写真が記憶ではない(それと写真に真実が写っているわけではないのだから)。
写真はあくまで記憶の保管箱(映像)に過ぎない。
解釈するのは私たちだ。

でも、だからこそ写真は必要だと思う。


写真の中のお袋の顔は、私が今まで見た事のない可愛い子どもの顔でこちらを見ていた・・・
posted by tadakov at 23:58| 高知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする