2011年09月10日

12EYES総論各論

0908kaneko.jpg


一生懸命書いて(まあ内容はたいしたもんじゃないですが、2時間くらいかけた)アップする前に間違えて消してしまうふらふら・・・そうすると途端に同じものを書く気力は失せる。

でまったく違うことを書きますわーい(嬉しい顔)



よく考えて見たら今回の『12EYES』の写真展、友人のけんぞ_さんが私との対決のことをラジオやブログ、果ては会場でもお客さんの前で言ってくれたのだが、私はその「作品」のことについてここでは触れていない(まあ最初かん口令が敷かれていたのもあるが)ドコモポイント

会場でもお客さんの前で少し説明というか、感想を言ったからもう良いかなドコモポイントなんて考えていたまま放置プレイだったので一度整理しといた方がいいということで。

また自分の写真にも気が付いたことがあるので忘れないうちに。

今回のけんぞ_さんの作品は巨大な3枚組みのヌード写真(B1だっけ?)。
特別何で来るのか想像していなかったのであるが(自分のことで手いっぱいであったので)、搬入数日前スタジオを訪ねた時に尋常じゃない気配が感じられたので、急遽自分も出すものを変えたのである(良かった良かったドコモポイントあせあせ(飛び散る汗))。
でもヌードには驚きました。

出力はインクジェット。
もちろん、1枚1枚のクオリティは驚くほど高い。
そして完璧な構図に組み合わせ。
色は調子を合わせ、少し彩度が低く抑えられている。

左の写真は、岩の上に全裸で卵のようにうずくまる女性。
彼女は何を抱えているのだろう。
何かに押しつぶされそうな、またはとても重い体験をした・・・それは彼女の過去なのだろうか?

中央の写真は、はだしで立ち左向き、遥か遠くを眺めている。
背景の空は曇りながらも千切れ雲が浮かんでいる。
音は聞こえてこないが、わずかに彼女のはいたスカートの裾が揺れて(ぶれて)いる。
ここが彼の憎いところなのだが、唯一この3枚の中での「動き」なのである。
彼女は遠くを見つめながら何を思っているのだろう。
彼女が見つめているのは、まだ見ぬ未来なのかもしれない。
私には小さな希望が見えるような気がした。

そして右の写真。
彼女は裸で私を見つめている。
私の中を覗きこまれているような視線。
強烈な視線でもなく、しかし弱くもない。
達観したようでもあり、彼女の「決意」でもあるような。
そんな彼女はとても美しい。
気がつくと私は彼女の前に「裸」で立たされている。
そしていつしか私は自分自身を見つめている。

もちろん見る人によって感じ方は、さまざま。
私には彼女の「過去(悲しみ)」「未来(始まりの予感)」「現在(決心)」を感じた。

作品には静かな緊張が漂い息を詰めて見てしまう、同時に彼女に見透かされる。
心地よいとはいえないが、それが心地良いのだドコモポイント
この写真の力ぴかぴか(新しい)
これに耐えられないならば、正面に立って長い間見つめていることは出来ない作品である。

いやあ敵ながら天晴れなのだ〜わーい(嬉しい顔)

「作品」とは、こうでなくちゃいけない。

自分が一旦作品として発表すれば、その写真に対して「言い訳」は出来ない。
それをよく分かっている(私がよく怒っているのは、これを分からず自分をアーチストだと思っている愚か者)。
けんぞ_さんらしい全く隙のない素晴らしい作品でしたぴかぴか(新しい)

それに私が付け入る隙があるとすれば、その「完璧さ」である(という言い訳わーい(嬉しい顔)


さて対する私の作品は『業火』。
炎の写真であり、人の業の作品でもある。
感情の作品とも言える。
表面だけ私たちを知る人が見ると一瞬お互いが「逆の写真」を撮っているような気がしたかもしれない。

今回はお互いが相手の裏をかきながら、それでいてがっぷり四つに組んだといえるでしょうか。
まあ私の写真の説明は、みなさんにお任せいたします。


で今回私が説明したいのは、もう一つの作品、お題の写真『いろ』の方である。
わたしのは、夜夜七色に輝いているビニールハウスの写真。
去年に個展にも出していたものの一つ。

いつも訊かれることなのですが、

@この写真は、本当にこんな色で輝いているのですか? 猫はい手(パー)

Aこの写真は、どこで撮ったのですか? 猫南国市です手(チョキ)

Bこの写真のハウスの中で何を作っているのですか? 猫知りません手(グー)

特に3番目の質問は多い。
そのとき私は言い訳に「そこに行ってもいつもお百姓さんはいないんですよふらふら」とすることにしている。
今回はお客さんの中に「必ず何を栽培しているのか教えてください」と、住所氏名を書いていった人がいましたモバQ

実はですねえ。
ここだけの話ですよ。
猫は、これらのことに全く関心がないのです。

何を作っているのかなんていうことに興味がないのである。

わたしが興味惹かれているのはそんなことではないのだ。
これは奇しくも私が会場で写真を解説しているときに友人である初老の天狗さんが言ってくれた言葉に尽きる。

私はあのビニールハウスを「お百姓さんが作った無意識のアート」としてみているのです。

昼間全く誰も見向きもしなかったビニールハウスが真夜中人通りも少なくなった時間に突如モバQ光のハウスとして輝き出す様に惹かれているのである。
その意外性。
だから「どこで」「何を」「どうして」作っているのかということには、まったく興味が無い。
純粋にその美しさ、光景に惹かれているのだ。


いかんexclamation眠いどんっ(衝撃)

明日の朝は早いのでこれにて・・・眠い(睡眠)


今夜はもう誤字脱字直せません爆弾
ちなみにけんぞ_さん写真の解説は、私の記憶によるものです。
実際に違うところがあったならお許しください。

ではドコモ提供おやす・・・・ガクっ爆弾


<9月12日一部改稿>


posted by tadakov at 23:58| 高知 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
過分の評価に痛み入ります。
会場で「けんぞーさんのいやらしいところは、このスカートの裾が揺れているところです。」と、看破されたときは、ち○ち○がちじみ上がりました。
たしかに、あえて裾が揺れるまで待っている、いやらしい確信犯じじいがいました。
タダコフは、また無いだろうな!と、おもいました。
来年は南国SAストーカー物語をやろうかと考えています(ウソウソ)
Posted by けんぞ_ at 2011年09月11日 16:00
>けんぞ_さん

あはは・・・(^0^)私とけんぞ_さんが違うと感じた写真は、右のヌード。
私だったら彼女は真ん中に立ちまっすく体をこちらに向け、目を伏せているかも・・・と思いました。

そこでしょうか。
けんぞ_さんの写真は良い意味で、けんぞ_さんの気配が消え(私は感じておりますが)彼女自身の「想い」が見えているところでしょうか?

おそらく私が撮れば、かなりのところで「私」が見えている(女性のヌードの写真でも)・・・極端なことを言えば、私の写真はどんなものを撮ってもそこに写っているのは「私」なんだと思います。

次の対決が楽しみですね。
Posted by タダコフ at 2011年09月12日 09:45
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