2007年03月10日

世の中には話してもわからないヤツがいる。

070310wedding.jpg


この写真は誰がどう感じようと、私は良いと思う。
たまたまボクが撮った写真である。



ある人から言われたことが、くすぶっている。
だんだん腹が立ってきている。

どうも私がとてもお人よしに見えているらしい。
温厚で物分りがいい、彼にとってだが・・・。

私の半オシゴトブログ「はなよめブログ」のことについてである。
あっちにのっているボクの写真は、ブック(私は、普段仕事でこんな写真撮ってます的)代わりである。

で、だ。
ボクの文章が過激だと言うのである。(ボクはかなりセーブして書いているつもりなのだが)
彼にとってそう感じるのだろう?
それで大きなお世話だと思うが、困るらしい

どうして?
ボクのブログではないか。

推定するに、それは<彼にとってお客様は神様(金カネ様)>の写真が載っているのが、気になるのだそうだ。

何回か、このブログでも言ったが、ボクはとっても写真が下手である。
人間的にとても未熟である。
それはよ〜く、自分が感じていることである。
<写真下手コンプレックス>
いや、違うな。
現実にとてつもなく下手なんだから。

ただ、ボクが<いい>と思った写真については、それがボクが撮った写真であろうとなかろうと<いい>ということについて、それなりにの自信がある・・・というか、眼を磨いてきたつもりである。
それを否定されると、ちょっとちっ(怒った顔)、なのだ。

写真を撮っているボクと写真を選んでいる私は別人である。


ずうっとそう思ってきた。
今もである。

私はボクの撮ったとてつもなく下手な駄作の山の中から一本の針を拾うがごとく写真を選んでいる。
そういうことなのである。
だからその写真が傑作でなくても、それなりだとは思っているのである。
だって写真を選ぶ眼は、30数年培ってきたのだから。

だからボクはカメラマンのレベルではない。
それが写真を撮るボクとしての永遠の悩みなのだ。

彼は私の選んでいるボクの撮った写真の被写体になっている人が、ボクの駄文で傷ついていると思っているらしい。
「はなよめブログ」にアップしている写真は、どれも悪くはないものだ。
少なくとも私の眼では、悪くないものである。(彼の眼では違うのだろう)
彼の眼=お客さんの眼か?

私にとって、被写体がその写真を気に入ろうが入るまいが、その写真のよさには関係ない。(もちろん、その被写体が喜ぶだろう写真を撮ることに専念しているが)
撮られている人が、<その写真を嫌い>でも、いい写真だと思っているのだ。(当然ある一定の基準をもって配慮し選んでいます)

そこのところだね。
彼と違うのは。

そして私の見る眼としての意見は、多少ボクの写真の撮り方や取り組み方に対して厳しいかもしれない。
過激と思えるかもしれないが、少なくともそれは
「私のボクのそれに対する意見である。」
またボクの写真に対する気持ちなのだ。
決して「他人の撮り方に対する批判ではない。」
だから、過激であろうと青臭く甘い意見であろういと、ほっとけなのだ。

それがオシゴト的ブログにふさわしくなく感じても、正直 私のボクにあてた個人的告白なのだ。

ドコモポイントだから、ほっとけあせあせ(飛び散る汗)


わかる人は、わかる。



じゃあ、何故このことを「はなよめ」の方に書かないのかってexclamation&question

そりゃあ、私だって多少の分別はあるからなのさ。


ボクは義理と人情が心情だが、彼がクールなビジネスライクに徹するつもりなら、こっちもそれなりに態度を改めさせてもらおう猫




posted by tadakov at 23:58| 高知 ☔| Comment(3) | TrackBack(0) | 今日の写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
えさ(お金)に尻尾を振る犬以下の人ががいっぱいいます。
生きてゆくために仕方が無いのでしょうが、選挙のたびに事務所に顔を出して、煙たがられながら何もしないで、当選したとたん俺が俺がと言う、核廃棄物以下の人を何人か知っています・・・
私が営業しないのはそういう人たちと付き合うことに心が耐えられないからなのです。
最後は乞食でしょうが、人として死にたいと思っています。
子供たちにはすまないけれど、うっとおしいやつからは逃げましょう。
お人よしは優柔不断といわれますが、だれも傷つけたりはしません。言い寄ってくる女性には傷つけることになるかもしれませんが・・・
いいのです。宗教が違うのですから。はい。

あ、慰めにもなってないな・・・
Posted by kenzo at 2007年03月11日 10:44
何を糧に生きるのか。何を得て こころよしとするのか。

せっかく"人”に生まれ出でたのであるから、人として、他の動物が なし得なかった…その心でものごとを見てみたい。蟻の論理は蟻塚のなかで語らせるが良いのです。

海を知らぬものに海を伝えることばはなく、海を知識で語る者に海の深さの魅惑なく、まして塚のなかの蟻には、海は望みえぬ存在でしょうな。

"人"らしく… 人として全うしたい。

”ひと”らしい友人のなかで住んでいると、齢を重ねるにつれ、そんな思いが海のごとく深く魅惑的に感じられてきます。

まあ、どうやら この世の仕組みは人間蟻のクローズされた閉鎖循環構造のようですが。


[ 註 ]

人間の例えに"蟻”を引き合いに出してすみません。本当の蟻一族は、見事にこの惑星の循環システムに順応したすばらしい種族です。











Posted by 初老の天狗 at 2007年03月11日 20:57
>Kenzoさん&初老の天狗サマ

友人にブログ上で「爆発」?するのを たしなめられました。
申しわけありませんでした。

心優しきフォロー、いつもありがとうございます。

大人気なく(まあ、それが実態なのですが・・・)今後気をつけていかねばと反省しております。


Posted by ただこふ at 2007年03月12日 12:29
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック