2013年09月25日

13eyes作品評

0926gs.jpg


今日は午後から写真展の当番。
今回まったく展示されている写真を見てなかったので各ブースを見ていく。
昨年日曜日にギャラリートークを担当したので今年もその要領で写真を見ていく。
手帳に批評を書いていく。
写真を言語化していくことは非常に大事、言語化することで作者の意図、自分の理解度が深まる。

たとえばこういうふうにわーい(嬉しい顔)

長野自敬
タイトルなし
タイトルがないのは、自分の中でコンセプトが明確になってない所為か。
面白い。
写真に若さがあり、動きもある。
その分未熟なプリント(仕上げ)が見て取れる。
もっと大事にプリントすべき。
写真はだんだん回を重ねるごとに進化しており、楽しい。
遂に被写体がヌードになったわけだが、次の写真が楽しみ。
挑戦してほしい。
写真の並べ方はマチガイ。
(83点)

濱田直希
タイトルなし。
夜の始まりのひまわり。
構図が惜しい。時間は良い。
鏡の前の男と女。
一回のスナップに終わっているのが残念。
本人の述べているように鏡を見る人物に魅力を感じるのならもっとたくさんの写真を見せて欲しい。
そうすると面白くなる。
せめて10人。
若い写真が見れて良かった。
写真の見せ方の勉強必要。
(75点)

釣井泰輔
タイトルなし。
展示はシンプルだが良い。
本来は展示物に花や物をくっつけるのは無しだが、まあ、いいか。
写真のクオリティ、コンセプトも明確でペーパーも写真の印象にマッチしている。
左から2番目の写真、顔が全然見えてないのが惜しい。
今回の写真展でクオリティ、コンセプトが一番まとまっている。
良いお仕事写真。
(85点)

このように全ての展示者の作品を読んでいくわーい(嬉しい顔)

ちなみに自分の写真は

武内忠昭
タイトル「IN MY POOL」
個々の写真は面白いものがあるのに統一感がない。
展示の仕方もアイディアが足りない。
大きくすれば良いというものではないのだ。
特に左の上下の写真は他のものと違う。
大きいもの4枚にしてすっきりまとめたほうが良かったかもしれない。
作者の作品に対する言葉が重過ぎる。
作品からはそんなことまったく感じられない。
(70点)

というふうに見ていくのだドコモポイント


自分の写真をひとりの作家の写真として客観的に見ることが出来なければ進化はない。



0925immypool.jpg
in my pool



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今日遠くから見に来てくれてたお客さんの一人がたまに私のブログを覗いていると・・・それでとても嬉しい話をきく。
もの言わない人たちが見ていてくれるということを改めて感じさせられ、しっかりしなきゃと感じた次第です。

ありがとう揺れるハート



NHKラジオ深夜便のロマンチックコンサートでヴィンテージロック1970年代のブリティッシュロックの特集をやっていた。
いやあ私の子供青春時代ですが、あのころのロックはかっこいいぴかぴか(新しい)
また中古レコード集めたくなりました。

この間スタッフと食事したときにTレックス久しぶりに聴きましたが、今聴いてもしびれます。

ぴかぴか(新しい)

1980年東京の大学行っていたころ。
貸しレコードが流行り出したころでした。
三鷹の駅前の裏にあるお店が出来て入り浸ってました。
年間300枚くらいはLPレコード録音してました。
そこの若い店主に30代後半かなあ(私にはそのころオジサンに見えたけど)気に入れられていろんなアーティストを教えてもらいました。
もう死んでいたけれどマーク・ボランもその一人。
好きだったグラム・ロックを聴きなおすきっかけを与えてくれました。
その人が、名盤と手渡してくれたのが、Tレックスの「ザ・スライダー」でした。

秋の夜長はロック三昧もありかなあいい気分(温泉)



追記:
ミチエ〜ル犬「アンタ、人のことをそんなふうに言っていいのパンチ みんなそんなことを言われたら気分悪くなるんじゃないのむかっ(怒り)」という意見が・・・

まず上記の記事で気分を害された方がいらっしゃいましたら謝ります。
私の言い方が至らなかったことでしょう。

私は自分も含めてそれ(表現したもの)を作品として世間に出したらなら、甘んじてその評価を受けねばならないと思うのです。
まして写真家(写真を撮る者)が、自分の成果物を発表すれば、それに対していろいろな評価(あるいは意見)を受けるのは当たり前です。
もちろん出す者は、その作品が良い(好きだから)と思い出しているに違いありません。
良い評価を得ようと思うのはあたりまえです。
褒められれば嬉しいし、否定されれば腹も立つし、落胆することもあり、またそれに対して反論したくもなる。

批判されるのが嫌なら人前に写真を晒してはいけません。

でもその意見を(時には的はずれな意見も、あるいは好き嫌いだけで判断されて悔しいことも)己の糧として乗り越えて行くしかないのです。
もちろん無視して自分の信じた道を突き進むというのもありです。

写真を他人に見せるということはそういうことです。
表現者は謙虚さと自己顕示を兼ね備えていなくてはいけないと思うのです。
耳を傾ける事が大事。

また大らかでなくてもやっていけない。
いちいち私なんかの評価に目くじら立てていてもしょうがないでしょうわーい(嬉しい顔)
評論家だったらもっとキツイこと言うと思います。


でもまあミチエ〜ルが言うように私が言うと波風が立つのかもしれません。
気分が悪くなる。
私が別にえらい評論家でもないのに・・・と人間関係が・・・。


私は写真が好きなのです。

だから作品としての写真に厳しい。
能力があるかどうかは別にして自分の撮ったものにも同じ態度であり、どんな評価も受けとめます。
もちろん嬉しかったり、怒ったり、悲しかったりはするでしょうが、それが人に写真を見せることなのです。

耳に痛い意見ほど自分の作品を深化させる糧となります。
うれしい意見は今までやってきて良かったと思います。
またコンテストで賞をもらったりすると喜びます、しかしその喜びは5分とか半日くらいのものですね。
あっという間にそれは過去の評価となるのです。

で、そうならないようにまたがんばる・・・という繰り返しでしょうか猫


まあ最後は自分の話で「ええかっこしい」みたいに聞こえるとまた本意と違うのですが、まあそれだけ私はまだ誰にも認められてないということです失恋

・・・ということで私はそれが写真であっても本であっても映画であっても、自分の尺度で評価していきます。それはプロであってもアマであっても。
プロならなおさら上級者ならなおさら、そのレベルは高いものを要求されて当然です。

遊びでも真剣でなくてはなりません。

いや遊びならなおさら真剣じゃなくちゃ面白くない・・・そうでしょわーい(嬉しい顔)

9/29 3:00a.m.


posted by tadakov at 23:58| 高知 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | MY MUSIC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
タダコフさんの批評を読みながら個々の作品を見たら
また違った面白さを味わえそうだなと思いました。
他の人の批評も気になります!
ケンゾーさんとか!
Posted by ライターの高橋 at 2013年09月26日 10:43
>ライターの高橋さん

私は13eyesの個人のブースは、それぞれの個展「巾4.5m展」のように見ます。
そこは巾4.5mのタダコフ写真展でなければならないと思います。
各自そういう思いで作品展示していると思いますが・・・空間をどのように使うか、それが作品の質、大きさ、テーマと調和しているか。
作品が大きければ良いといものでもなく、小さいからダメというものでもありません。
自ずとその作品が求める大きさはあり、また空間によって大きさは制限されるはず。
もちろん作品自体の出来はいうに及ばず。
またそれがテーマに沿った作品であれば全体の「タイトル」が必要だとも思います。
一枚一枚に必ずしもタイトルがいるというものでもありません。

ケンゾーさんは(^−^)個々写真はさすがのクオリティです。
でも展示は少し欲張りすぎたかもしれません。

まあこれも一つの感想です。

私の感想だからたいしたことありません。
上記の批評と同じく一喜一憂するほどのことでもなし。

篠山紀信を「偉大な写真家」という人も入れば、私のように「仕事の天才」という人間もいるということです。


写真を読み解いていくという作業は、誰でもやればできるということです。
写真を「目」だけ使って理解するということは、本質に迫れないと思います。
写真に限らずね・・・

Posted by タダコフ at 2013年09月29日 04:21
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