2013年12月05日

われ一介の肉塊なり

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おっとがく〜(落胆した顔)exclamation×2危なく作業台の下から出ていた赤ちゃんの手を踏むところであった。

実はさっきまで私はその隣で寝ていましたドコモ提供たらーっ(汗)というか、目が覚めたら隣にメグミが寝ていたのです。
目が覚めたらスタッフ全員出勤してました(ささやんの子供も)。

社長が朝一番に(昼でしたがむかっ(怒り))したことは、隣でぐずっている赤ちゃんの面倒を見ることだったのですわーい(嬉しい顔)



このブログは私の日々あれこれを中心に自分の感じたことを独り言のように書いています。
映画の話、本の話、写真の話、小話あれこれ、そしてたまに原発の話、政治の話、報道のあり方。
私は基本的に政治に関心はない。
どこの政党にも属してない。
しかし俗に言う無党派でもない(タダコフ党なのだ)。
では何故時々政治、メディア、この日本(人)のあり方に怒っているのか?

それは自分が表現者でありたいからだと思う。

表現者であるためには、もっとも自由、民主主義に敏感でなければならないからだ。
そうでなければ作家なんて標榜できない。
残念ながら日本では「自由」は、何もしなくてもそこにあるもの、与えられるもの、自分がしたいこと(しなくていいこと)ができること、と思っている人が多いことである。
もっと酷いのは、自分たちが自由に、民主主義の国で生きていると思っていると信じている人が多いこと。
日本は今までも民主主義から遠い国だったが、これからははっきりそうでないという法律を作ろうとしている。
少なくとも本当のところを知れば殆どの国民が反対するだろう法律を(国民の意思を)無視して成立させる。
この国の政治家は誰のためにやっているのだろう。
ほんとうにバカちっ(怒った顔)爆弾

話を元にもどす。
作家は(表現の)自由に一番敏感ではなくてはならない。
それは真実を知る。
表現は真実の探求なしには成立しない。
それは事実を知るということが根幹である。
本来国民が知るべきことを秘密にされてのほほんと生きてはいけない。

そんなこと何にも感じない人間はアーチストではありえない(それこそ政治家か)・・・と思う。








だから怒る猫





それだけだ。

posted by tadakov at 22:14| 高知 | Comment(0) | TrackBack(0) | MY MUSIC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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