2017年04月09日

夜桜に思う

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いつのころからか3月の終わりと4月のはじめは、撮影が混む。
卒入学の学校集合写真そしてその個人写真、そして一般のお客様の記念写真、それに挙式披露宴、それを同じ日に撮影することになる。
一時カメラマンは5人くらいいたが、産休だったりでなんかで今は主に2人+1、仕事は増えている。
1月になったら4月が終わるまであっという間なのだ。
むしろウェディングのシーズン、9月〜12月が終わるのよりももっと早い。
どうしてなんだろう?って思うけど、早いものは早いのだ。


撮影にも疲れているが、映画を見に行き、帰りに霧にけむる桜を見て、スタジオからカメラを持ち出してまた撮影に出る。
こんな霧雨の夜誰も撮影になんて出てないわなと思うから。

でもって思うのだが、夜の撮影って本当に面白くない。
何がいやかって三脚を立てる撮影がいやなのだ。

三脚をピシッと立てて撮影した風景写真でいいものを見た記憶がない。
大抵無理な構図で広角ズームレンズの説明写真。
だっていい場所に三脚を立てるって大変難しいのだ。
少なくても私には無理だ。

もうその場所に立てた時点で画角は制約されている。
いい瞬間といい場所は、連動しているのもので尚且つ一瞬、一定の場所ではないのだ。
そうすると逆に一定の場所でいい瞬間を待たなきゃならなくなる。
それはオカシイと思う。
100点満点を決めてから写真を撮るようなもの。
それを決めた時点でつまらない写真を目指して撮影するようなもの。
写真に満点はないし点数制限はない。
想像を超えたところに素晴らしいものがる。
先に自分で想像を限定してどうするのだ。

いい瞬間いい場所はすでに他の場所でその時始まって終わっているのだ。

つまらない・・・

だから三脚を据えてじっくり撮った写真は、どこかで見たような、額にはまったような写真になる。
撮った本人は苦労してそこに三脚立てて時間と手間をかけて撮影しているものだから、すごい写真と勘違いしてしまう。
それは逆に言えば、誰でもそこにそうやってやれば撮れる写真なのだ。
それができないから(しないから)スゴイと思われているかもしれないが、でもそれと撮れた写真の評価は別のところにあるし違う。

だから夜に霧雨の中、一人桜の下で三脚持ってうろうろしているとオレはバカなんじゃないかと思えてくるのだ。

そんな写真はほかの方にお任せしたい。

もちろんそういう写真を撮る方をバカにしているのではない。
むしろ偉いと思う。
プロだな〜って思います。


ただ作品評価は、また別のところにあるのです。


私の泣き言なんかは誰も聞いてくれないし、苦労のたけや技術の高低は関係ない。







映画は、30点。
何の発見もなんの驚きもない。
スカーレット・ヨハンセンの出来の悪い演技と悪いスタイル(ある意味日本人的と言えるけど日本人じゃないんだから)、タケシの活舌の悪さ。
まあ基本監督の責任でしょう。
本気で探したらタケシじゃなく、いっぱい適任はいるはず。
脚本もひどい。

繰り返すが、悪いのはスカーレット・ヨハンセンではなくて監督の力量のなさです。

映画館は普段ガラガラなのに7割がた埋まっててびっくりしました。



そういや昔、三脚写真シリーズを撮りました。

高さ一定。
レンズ一本。
構図を考えない(見ない)。
その場所に三脚を立てたらそのままとる。
めんどくさいの裏返しからのヒントですが、それもそのうち飽きました。

でもわりと面白かったです。

そこに三脚を据えるという時点で構図を考えてるってことなんだよな〜。
posted by tadakov at 13:18| 高知 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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