2019年02月22日

写真家

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前回、写真家になりたい!と自分で吐露したわけだが、(このブログは誰も見ている人がいないので、自分の自分に対する日記なのだ)正確には、その人が何かというのは、その人の生き方なのだ(と思う)。


結果的に世間が認知しなければ存在しないに等しい。

しかし存在しなかったかと言えば、そんなことないのだ(発見されてないだけ)。


いつか日の目をみることもある。


数年前に再評価された写真家でソール・ライターという写真家がいる。
1950年代ファッションカメラマンとして活躍した人だが、知る人ぞ知るの人だ。
彼の当時撮影したプライヴェートのカラー写真が話題になっている。
その瑞々しいい感性。
構図。
当時の光景が、古いものとしてでなく、新しい写真(永遠の写真)として目に焼き付く。
去年?神戸の美術館に見に行った時あまりの若い人の観覧者に驚いた。
イマドキ写真展が若い人であんなに賑わっていることはない。
もちろんその写真群は彼の晩年見出されたものなのだが、最近出版された写真集。
彼の没後だ。
ヌード写真。
これが素晴らしい。
もちろん生前彼はこんな写真を発表するつもりじゃなかった、できなかった、のだろう。
いやあ、これは傑作なのだ。
私のお宝写真集の一つだ。

そしてヴィヴィアン・メイアー。
生前15万枚もの写真を撮りながら一切発表してなかった女性。

紛れもなく写真家だ。

続々と写真集が出版されているのだが、素晴らしい。
20世紀の最大の写真家とまで言われている。
彼女が生きている間誰も知らない。
1926年2月1日生まれ2009年4月21日没。
彼女は生前誰にも見向きも去れなかった(彼女自身が世間を拒んでいた)が、彼女の功績は写真史に燦然と輝くこととなった。
彼女は自分が撮りたい写真を撮っていただけ、ただそれだけだ。


さて俺はどうなのかと胸に手をあてるのだ。

自分は写真家ではないかもしれないが、写真が好きなのだ。

写真を撮ってもいる。

それがオシゴトでもある。

だがオシゴトの写真は作品じゃない。



自分の撮った写真を見て喜んでもらいたい。

これは邪念だろうか。

自己満足に浸りたい。


だって作品って究極自己満足なのだ。

他人がどう評価しようと関係ない。

また評価されても関係ない。


作家は欲望の塊だ。


何処まで行っても満足するということはない。


満足してしまったら終わりだ。


煩悩の塊だ。



posted by tadakov at 00:35| 高知 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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